虚勢
僕には敬愛する友人が複数いる。
というか逆にそれ以外の中途半端な友人がいないかもしれない。
先に書いた記事の二人もそうだ。
月始めにその複数のうちの二人と飲みに行き、さらに先日その一人と飲みに行った。
二人は年上と年下で僕はその間くらいだ。
二人とも頭がキレてしっかりとした自己を確立している。
月始め、会った時に言われた。
「毎回手土産持ってくるからギリギリに連絡を入れて用意させないようにした」
と。
僕は仕事柄、少し特殊な手土産を友人達にお渡しする事がある。
しかし、それに対する費用だとか準備だとかを懸念していたようだった。
「いらん気を使わんでええ。そんなん毎回買ってたらキリないし、適当に会って適当に飲むだけでええやんけ」
続く言葉に対し、これが友人というものなのかと思った。
先日記事にあげた中で〝沈黙の堅苦しさに負けてしまった自分の見窄らしさを隠した〟事を書いた。
それも言わば、〝気を使う〟行為だった事に改めて気づかされた。
敬愛と過剰な気遣いを混濁していた事に気付いた。
それが正しい、正しくないのどちらにせよ、渡した時点で手土産によって保険をかけていた事に気付いた。
フェアではない。
友人達はその身一つで来ているのに対して僕は手土産という名のセーフティーネットに身を寄せていた。
これが如何に情けないかと気付かされた。
これまでの事が友人達に対して失礼なのだろうということをたくさん思い知らされた平成最後の師走。