マスク

とある友人とのやりとりで最近の僕は〝排他的な思考〟を持ってると言われた。

 

排他的にならざるを得ないとも思う反面、傷つきたくない自分が居たからそうなったのかもしれない。

 

それでも僕に良くしてくれる人がいるから僕はその人たちは大事にしようと思った。

 

僕はすぐ邪推をする。

その邪推がよく当たる。

悲しいことに良く当たる。

 

何故そう邪推をするのかと考えた時。

理由は浮かんだ。

いい子になりたかったかったのだろう。

八方美人だ。

人の顔色を伺って、傷つくことを恐れて、セメントで塗り固められたような顔で人を観察し、ヘラヘラ取り繕った裏側にある素顔の醜さに自身でも気味が悪いと思う。

 

様々な人を羨み、その人のフリをしようとしているみたいだった。

 

だから、模倣の自分はもうやめた。

 

その結果が〝排他的な思考〟だったのだと、指摘されるまで気づかなかった。

それでも、前に進まないと思う。

勤め

先日、仕事中に倒れた。

 

ストレス性の過呼吸だ。

 

救急車内で意識を取り戻した。

 

両手の麻痺と下顎の麻痺があったので筋肉注射と点滴を打ち、2時間ほど寝ていた。

 

店の店長が付き添ってきてくれていて、思っていたことをそのまま口に出した。

 

僕にとっての「生きる」とは何なのかと。

 

店長は黙って聞いてくれた。

 

2日後。

 

僕は退職届を出した。

見えないけど無い

何故だろう。

 

手足と頭が繋がらずに宙ぶらりんな。そんな気分をここ数日、というより年明けから味わっている。

 

胴体が空っぽのような。

何か満たされないような。

不快感ではないが、得体の知れない虚無感とでもいうべきなのだろうか。

 

さてどう扱うべきなのか。

訝れ

暮れ、というか大晦日に二年前に配信されたとある楽曲を知った。

 

まるで脳みそをぶん殴られた様な、そんな楽曲だった。

 

その歌は懐疑論に焦点を当てた歌詞で。

その歌は猜疑心を煽る様なリズムで。

その歌は生と死への疑問を持った詩で。

その歌は人の心に注目した曲だった。

 

聴いた僕は何故だかたまらなく胸が締め付けられる。そんな気がした。

 

何の為に生きてるのか?

 

その疑問に一石を投じるような。

まるで現状のままで良いのか?と自分達に訴えかけてるような。

意図が沢山ありすぎてどれも伝えたい事なのだろうが、とにかく心を揺さぶられた。


『只痛くて 怖くて 哀しくて!
僕は何のため生きてるの いつの間にか
疑うと云う事さえ 疑ってしまった』

 

後半のサビの部分。

疑うと云う事さえ疑ってしまった。

この歌詞の盛り上がり方とMVのシーンが脳裏から離れない。

何故人は嘯き、憂い、悲み、疑うのか。

 

そんな〝怪物〟は誰にでも住みついて要て、そんな〝怪物〟は僕の中にも要るのだろう。

少しでもその〝怪物〟と分かり合えたいと思った。

新年

新年明けましておめでとうございます。

今年も細々と更新していきます。

 

実は本日、人生初の初売りに行ってまいりました。

しかし、冬前にコートやらなんやらを買ってしまって福袋の中身に魅力を感じなくそのまま靴屋で気になってた靴を買いに行こうとしたらレディースだったようで初売りに行ったはずが何も買わずに帰ってきた。

 

年明け早々幸先の悪いスタートである。

年の瀬

もう平成の年末もいよいよ最後だ。

慌ただしかった業務も終え、今から昔から通っている銭湯に向かう。

 

今年は様々なことがあって、己を見返すことが多かった。

それと同時に様々な部分において人というものは一度の思考と行動に様々な影響を与え、結果を残すのだということもわかった。

 

多分、僕の人生史において一番の知的収穫があった年だったのだろうなと思う。

 

読んでくださる方々へ、良いお年を。