沈黙の飼い方

少し前のことだ。

友人ととあるカウンターがメインのお店に行った。

夕方に合流し、お店を少し梯子した後にそのお店に向かった。

 

お店に入るまでは他愛のない話をしていたはずだった。

 

お店に入り、カウンター席に案内される。

 

沈黙。

料理が来る。

「おいしい」

沈黙。

料理が来る。

「これもおいしい」

沈黙。

 

本来なら何か話すべきなのだろうか、とも考えた。

が、従業員の方々の視線とお店の雰囲気に飲まれ、お互いに多少話すもののほぼ話すことなく店を出ることになった。

 

別れ際に「ほとんど黙っててごめん」と苦笑しながら謝ったことを鮮明に覚えている。

 

あの謝罪は〝何に対しての謝罪〟だったのだろうか、と思うことが幾度となくあった。

 

熟考した結果、それは沈黙の堅苦しさに負けてしまった自分の見窄らしさを隠すための虚勢だったのだろうと行き着いた。

 

まるで沈黙という得体の知れない猛獣を扱いきれない見習いの動物曲芸師ではないか。

 

そう思ったのがそれから四ヶ月ほど経った頃。

その怪物を御すにはどうすれば良いのかとも考えていた。

 

答えは意外とシンプルなもので、流れに身を任せれば良いのだと気付いた。

 

それが沈黙の手懐け方なのだと理解した。